英語版の聖書でも、ここは「candlesticks」(ろうそく台)とか「lampstands」(燭台)となっている。だから、原典であるギリシャ語の聖書では、恐らくここは「燭台」の意味に近いギリシャ語が使われていたと思われる。しかし、谷口雅春先生は、そのことを知りながらもあえて「燈台」という日本語を選ばれた、と私は推測する。
聖書のこの箇所では、この霊人は「あなたが見ていることを書きものにして…(中略)…七つの教会に送りなさい」と命じ、その後に、この「七つの星は七つの教会の御使しあり、七つの燭台は七つの教会である」という奥義を明らかにしている。
「教会」に、建物も意味する。は人間の所属する組織であると同時それを「燭台Jによって象徴することはもちろんできる。しかし、「燈台」という言葉で表すが島国である日本の文化的環境ではより親しみやすく、また解釈により広がりをもたせることができる一谷口雅春先生は、こう考えられたからではないかと私は思う。
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