平成十(一九九八)年十月ニ十三日のこと、新潟駅では駅長以下総出で皇太子妃の父・小和川恒のお出迎えに奔走していた。
新発田市の市民会館で、地元の敬和学園大が主催する小和田国連大使による特別講演会が開かれるためである。新潟駅では駅長の先導で特別通路を通り、JR東口本新潟支社の正面玄関から川意された車で新発田市へ向った。駅や道中での弊備陣の対応も、地元民によれば「まるで天皇陛下並み」の緊張ぶりであったという。
また、平成二十一年二月に小和田恒が国際司法裁判所所長に就任した夏である。恒はオランダから夏休み掻鎌ねて帰早ると、山形県にある山辺町を妻とともに訪れた。天童市に隣接するこの寒村に足を運んだのは、この地出身で日本人初の常設国際司法裁判所(国際司法裁判所の前身)所長となった安達峰一郎(一八六九~一九三四)の生家を訪ね、同時に山形市で記念講演を行うためだった。
なにしろ皇太子妃の父の来訪とあって、地元での歓迎ぶりはいやが上にも盛り上がった。この日、恒は国際司法の先達の生地に自らの手形と署名を残した。翌年、生家前には黒御影石の立派な記念碑が建立された。石碑に刻まれた文字は、「山辺町来町記念国際司法裁判所所長小和川恒」とあり、中央に実物大の右手形が刻印されている。名前も自らの直筆文字を彫ったものだ。
もちろん、恒が申し出たわけではなく山辺町の役場やロータリークラブの発案で製作されたのであろう。しかし、生誕の地の木札も、来町記念の石碑も本人の許可を得て建てられたものである。
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